さらば信繁! 真田丸が終わってしまったので最終回の感想とか

シェアする

大坂城

どうも、とどでござる!

塙団右衛門のような名前の売り込み方を模索中です。多分毎日変わります。塙団右衛門の営業力については『フリーランスの人は塙団右衛門の営業力を見習うといいかもしれない』で書いたので、よかったらこちらも。

さて、2016年の大河ドラマ真田丸もフィナーレを迎えました。

最終回はサブタイトルもなく、そのまま「最終回」となっています。二文字のサブタイトルを付けるのは視聴者、という意図もあるのでしょう。

例によってネタバレ全開なので、まだ見てない方は今すぐブラウザバック! 感想はドラマの時系列と合わせておらず、テーマごとまとめているので注意。

広告

目次

  1. 開幕のギャグパート
  2. 本田正信からの学び
  3. なぜ散り際があっさりと描かれたのか分かった
  4. 作兵衛強すぎ
  5. 内記もかっこよかった
  6. 秀忠おいしすぎ
  7. 淀殿に受け継がれる想い
  8. ドラマ真田丸では多分秀頼生存説
  9. 秀頼の「武士としての自分」に対する自刃
  10. 19時のニュースとのリンク
  11. そのニュースをたたき切る幸村
  12. この戦法は昌幸の……!
  13. 山南さんに続いて幸村でも切腹する堺さん
  14. 最後まで幸村は「らしさ」があった
  15. 佐久間象山は「しょうざん」か「ぞうざん」か
  16. まとめ

開幕のギャグパート

「芸人いっぱいおるやんけ!」

とネタを仕込むのも三谷流ですね。流れ的に前回のきりとのシーンの後でしょうか。

今回は幸村の後ろに佐助がいたので、前回のあれも見ていたのかも。佐助の胸中をお察しします。

ギャグパートと言えばお兄ちゃんの信之。本田正信とのまさかの相部屋でした。

大坂夏の陣に出陣しない二人の微妙な距離感も良かったです。本田正信はいろいろと察していそう。

本田正信からの学び

最後の幸村のシーンが終わった後、本田正信が自国の領民に慕われている様子がありました。

それを見た信之に、施政の考え方を教える正信。ドラマの中では少しばかりでしたが、実際は多くのことを教わったのかもしれません。

「勉強になりました」と答える信之でしたが、その後史実では、実に93歳に至るまで、松代の地で施政、および子供たちのサポートを行い、多くの人々に慕われる領主となりました。

私が勝手に感じ取った真田丸のテーマとして、「想いを受け継ぐこと」があります。

信之は、昌幸の想いも受け継ぎながらも、その他にも多くの人からの想いを受け継いだからこそ、長年にわたって立派な領主として全うしたのかもしれません。

なぜ散り際があっさりと描かれたのか分かった

出陣前、鎧を着る幸村は、「大事なのはどう生きたかだ」と言いました。これを聞いて、なぜドラマ真田丸で登場人物の散り際があっさりと描かれるのか分かりました。

生きているときの姿をはっきりと描きたかったのです。

立派な姿、勇敢な姿はもちろんありますが、それだけでなく人間臭い部分をはっきりと描くことで、その人の生き様をありありと表現したかったのです。

武士と言えば潔さ、散り際の美学がありますが、真田丸では極力それを排していたように思います。

作兵衛強すぎ

メガテンで「超人サクベエ」とか出てもいいくらいの強さ。戦場で倒れたかと思いきや、大坂城で敵を討ち果たす作兵衛。

最後は自分が耕していた畑に倒れました。あっさりと言いながら、作兵衛の散り際は勇猛に描かれていましたね。すみません。

ここも「想いを受け継ぐこと」というテーマが見える場面。彼はすえの名をつぶやき、舞台を去っていきました。あんたいい男だったよ。

内記かっこよすぎ

臣家の人々を逃がすため、勇猛果敢に戦う内記。大助が加勢を申し出ますが、彼は断ります。

大助を何としても逃がすことが、彼にとって大切だったのです。

内記は真田家三代に仕え、昌幸、幸村、大助と共に過ごしました。昌幸から受け継がれる真田の意志を守るのが彼の生きる目的でした。

大助を逃がした後、散り際に昌幸の位牌に語りかける姿は、忠義に生きた彼の生き様を物語っていました。

秀忠おいしすぎ

物語の佳境、因縁のある家康との対峙。

家康としては、もう徳川の世が続くことは間違いないだろうと思っているだろうし、仮に大坂の陣で豊臣が勝ったとしても、徳川を滅ぼすだけの力が無いことは分かっているのです。

幸村が構える小型火縄銃の前に、意を決した家康でしたが、息子の秀忠に命を救われます。

幸村に感情移入しまくっていた視聴者にとっては、秀忠の乱入は邪魔なことこの上ないのですが、徳川視点で見れば、まさに主人公側の展開。

家康は助けに来た秀忠に向かって「遅いわ」と言いながら笑顔で答えます。

この「遅いわ」は、秀忠にとって重要なキーワードでした。

関ヶ原では真田親子による上田での足止めによって大遅刻をやらかし、大坂冬の陣では早く駆けつけようとして怒られるなど、時間に関して散々な目に遭っています。

しかし今回、父親である家康のピンチにちょうど駆けつけ、命を救いました。前回の家康への意見、今回の家康の救出など、秀忠の成長が描かれています。

この秀忠の成長を感じ取ったからこそ、家康も幸村に討ち取られてもいいと思ったのかもしれませんね。

秀忠の成長によって、徳川方の「想いを受け継ぐこと」というテーマが表現され、今後の徳川の長きにわたる安泰が暗示されました。

淀殿に受け継がれる想い

冒頭の淀殿(茶々様)と幸村のシーンで、取り乱す淀殿を諭すように幸村がこう言います。

「最後まで望みを捨てなかったものにのみ、道は開ける。」

この言葉は、秀頼にも届けられます。母の想いとして、何としても息子を助けてあげたい、というのが感じられます。身の回りの大切な人を失った彼女だからこそ、今生きている大切な人を失いたくないと強く思うのです。

また、秀頼にこの言葉を伝える際、大助も聞いていました。父・幸村の想いは確かに大助にも伝わっているのです。

ドラマ真田丸では多分秀頼生存説

火の手に落ちる大坂城を別の場所から眺める秀頼たち。このシーンから、ドラマ真田丸では秀頼生存説の立場を取ったと勝手に解釈しました。

大坂夏の陣では豊臣方の負けでした。視聴者の立場から見れば、敗因は大蔵卿親子。大蔵卿は和睦で堀を埋める条件を飲んじゃうし、大野治長は瓢箪を持ち帰って味方の士気を下げちゃうし、大野治房は埋めた堀を掘り返して戦いのきっかけを作っちゃうしで、さんざん足を引っ張ってくれました。

しかし、このドラマで秀頼生存ルートを通ったとしたら、彼女たちは一概に無能とは言えないかもしれません。

大蔵卿の目的は、豊臣家の存続。つまり秀頼の生存です。秀頼を出陣させず大阪城内に留めたことで、結果的に彼女は目的を達成したのです。

諦めずに生きるというのは、新しい時代の生き方。周りにどれだけ恨まれようとも、目的に対して忠実に行動した彼女は、一概に無能とか疫病神とかポンコツ卿などと言えないのかもしれません。

秀頼の「武士としての自分」に対する自刃

ドラマ終了後、大阪城の秀頼、淀殿自刃の石碑が映りましたが、このドラマでは秀頼生前説です。

そうなると何に対する自刃だったのかと考えると、秀頼が「武士としての自分」に対して自刃を行ったんじゃないかと。

戦場で秀頼の出陣が望まれていた時、秀頼は偉大な父親である関白・豊臣秀吉の息子であることに誇りを持っている発言をしていました。父親のように武士として生き、戦場を駆け、戦場で武士として散ることも考えました。

しかし、淀殿が秀頼を生かすために出陣を全力で止めます。おそらく、母の想いを汲み取ってしまったからこそ、出陣の取りやめを心の中で受け入れたのでしょう。

しかし、これは秀頼にとって辛い決断でした。

大坂城の城主として物事を決める立場にいても、結局は母である淀殿の意向が最重要視される生活。戦場で父のように勇猛果敢に手柄を立てようとしても、母に止められる。

常に母の言いなりになっている自分を受け入れてしまったのがこのシーンでした。武士として華々しく散る道ではなく、生き延びることを優先してしまった。

これが新時代の生き方なんだろうとどこかで思いつつも、秀頼には偉大な父親の幻影がつきまとい、影を落としているのです。

父のようにありたいと願いながらも、幼い頃から一緒に過ごしていたのは母である淀殿。だからこそ、母の気持ちも分かってしまうのかもしれません。

燃える大坂城を眺めるシーンでは、うつろな目をした秀頼がいました。彼はその胸中で何を思っていたのでしょうか。

19時のニュースとのリンク

真田幸村の最期に関して新説が見つかった、と19時のニュースで語られました。真田丸の最終回に合わせてくるあたり、NHKも気合が入っていたのでしょう。

西尾宗次に対して幸村が「手柄にするといい」と首を差し出した、というのが通説でしたが、新説では、西尾宗次が幸村とガチでやりあって勝ったことになっているそうな。

日本一の兵と言われている真田幸村とガチで戦って勝ったとなれば、そりゃもうどえりゃー名誉になります。でも西尾宗次の自伝で勝手にそう言っているだけなので、他の資料の存在も望まれます。

幸村好きにとってはあまり嬉しくなさそうな説ですが、いろいろな角度から歴史を紐解くのが大事だと思うので、この新説に限らず、様々な資料が発見されるのも楽しみですね。

そのニュースをたたき切る幸村

幸村が安居神社で休憩しているシーンでは、この後を思うと涙が止まりませんでした。そこへやって来る二人の兵。

「ああ、こやつが西尾宗次か……」

と思いながら見ていると、頭を垂れながら差し出しているような姿の幸村と佐助。ニュースでは新説が出てたけど、通説の方で行くのね、なんて思っていたら、あっさりやられる二人の兵。

いい意味で視聴者の予想を裏切ってくれました。ニュースから伏線張ってたんですかあなたたち。

この戦法は昌幸の……!

あとでTwitterのベストツイートの方を見て、確かにそうだ! と思ったのが、この幸村と佐助の戦法は、九度山で昌幸が大助に教えていた戦法でした。

村の子供とのけんかに負けて帰ってきた大助に、昌幸がこう言います。

「膝をつき、頭を垂れるふりをして、相手にかみつけ。ついでに枝を拾って、拳から突き刺せ!」

幸村と佐助はこれを実践していたんですね。最後の最後まで、昌幸の生き様を受け継いでいた幸村達。気付いた時にはまた涙が溢れました。

2016/12/30追記:総集編を見ていましたが、この戦法の大元はばぁさまでした。つまり昌幸のおかんから、嘘でもいいから頭を垂れて、油断させてから寝首を掻くという「真田の戦い方」を受け継ぎ、昌幸が具体的な戦術に昇華し、幸村が実践していたのです。

山南さんに続いて幸村でも切腹する堺さん

三谷さんと言えば、大河ドラマ新選組!の脚本も書いています。幸村役の堺さんは、新選組!では山南敬助役で出演していました。

山南敬助と言えば新選組から脱走したために切腹となった訳ですが、彼の切腹シーンでは多くの視聴者が涙しました。

そしてこの真田丸でも。

「堺さんにまた切腹させるのかあのおっさんは!」

と悲しさと笑いが入り混じった変な感情が湧いたシーンでした。

最後まで幸村は「らしさ」があった

新しい時代に生きようとしている皆の姿を思い浮かべ、笑みを浮かべる幸村。家康と対峙したときに、自分が戦しかできない存在であることは重々承知していると答えました。

新しい時代には戦はないだろうと考えている幸村は、この戦国の世に自分を置いていこうとしたのかもしれません。

思い出してみれば、今回の冒頭、内記との会話で以下のものがありました。

「私は、私という男がこの世に居たという証を残せたのか?」

「人の真の値打ちというものは、己が決めるものではありません」

「誰が決める?」

「時でござる」

この言葉があっての、「歴史が私をどう評価するか、お手並み拝見としよう。」というポスターだったんですね。

ポスターの言葉はかなりメタい発言ですが、400年後の今に生きる私たちがこの物語に触れていることこそ、彼がこの世にいた証と言えるでしょう。

佐久間象山は「しょうざん」か「ぞうざん」か

なぜかナレーションで登場した佐久間象山先生。信之が治めた松代藩が輩出し、倒幕のきっかけを作った、なんてナレーションでした。ナレ倒幕。

250年の年代ジャンプの後、伝承法で想いを受け継いだ最終皇帝が七英雄を倒した、みたいなノリでしたね。つまり有働アナは詩人だったんだよ!

Ω ΩΩ<『な、なんだってー!』

この佐久間象山先生は、長野県民で知らない人はいないと言われる超有名人です。ほとんどの長野県民は県歌「信濃の国」を小学校で覚えされられます。

6番までありますが、歌詞を覚えてちゃんと歌えるまで帰れま10をやらされるのです。その歌の中に、長野県を代表する偉人として佐久間象山先生が出てくる訳です。

彼の偉業は一旦置いておくとして、長野県民的に気になったのが、有働アナのナレーションで佐久間「しょうざん」と呼んでいたこと。

歌では「ぞうざん」って覚えさせられていたので、おや? と。

一般的には「しょうざん」なんですね。今日知りました。今まで「ぞうざんで変換できないな……」なんて思ってました恥ずかしい。

まとめ

ついに終わってしまいました、真田丸。地元びいきもありつつですが、結構しっかりと見ちゃいました。

幸村が主人公と言いつつ、心の拠り所として昌幸がずっといてくれたのも良かったです。お兄ちゃんの信之も、父と弟が去った後の世を強く生きていく決意をし、「行くぞ」と前を向いたシーンが最高にカッコよかった。

「最後まで望みを捨てなかったものにのみ、道は開ける。」という言葉を胸に、彼らのように強く生きたいと思います。

広告