直虎4話「女子にこそあれ次郎法師」次郎の名前の意味が分かって深みが出た

2020年2月7日

ご飯を分けてあげる

とどでございます。

おとわ自らが竜宮小僧になるという方向性にまとまった4話。役割効果を考えれば、実はそう振る舞うことに意味があったりします。もしかしたらまだ明かされない初代の想いもおとわが紡ぐことになるかも。

なんていう期待感を持たせる4話でした。いくら自分が竜宮小僧になると言っても、掛け軸を見てタイムスリップ→自分が初代の竜宮小僧として幼少期のおとわを見守っていました、なんてドラクエ5で見た展開は勘弁な!

とにもかくにも今回の最後には9年の時が流れ、成長したおとわ(次郎法師)の姿が見えましたね。柴咲コウさんがおとわのあのはっちゃけた感じを演じるのは大変かと思いますが、青年時代の波乱にも注目したいところです。

ファッション出家のつもりだったおとわ様

「出家」と言えば何とかなる――そんな風に考えていた時期が我にもありました(おとわ様、幼少の井伊谷にて)。

裏にある寺で、すぐに会いに行けるとはいえ、出家をしたからには簡単に俗世に戻ることは許されません。多くの修行僧と寝食を共にし、俗にまみれた考えを捨て、仏の教えを守って生きていく、そんな世界におとわは入っていきました。おとわは井伊にとって重要な名前である「次郎」を受け継ぎ、次郎法師として生きていくことになりました。

おとわが出家することで、現状、井伊の家を継ぐ者は誰もいない訳ですから、今川にとっては操りやすくなる訳です。その政治的な思惑に巻き込まれたおとわは、姫としての生活を捨てることを余儀なくされました。

托鉢にはする側もされる側もメリットを

托鉢と言えば、残り物でもいいからご飯をもらう、なんてイメージですが、本来は「施す」という行動に意味があります。

作中でご飯を餓鬼に施す「施餓鬼」の説明がありましたが、自分以外の誰かに、自分が持っているものを分けてあげる行為、ここに徳を積むヒントがあるのです。

この仏教的な考えと似たものとして、現代の世界のエリートが身に付けている「After You」の精神があります。こちらは、日本語で言えば「お先にどうぞ」の精神ですね。もちろん彼らは相手を餓鬼などと思わず、同じ人間として尊重しているので誤解のなきよう。

例えばエレベーターで我先にと下りるのではなく、同乗者に先を譲る、あの感覚です。この場合、譲っている人は自分の時間を分けてあげています。まず自分から相手にあげるのが大切なのです。

譲ることそのものにも意味がありますが、譲るという事は自分に分け与える余裕があると認識すること。つまり自分自身を見つめることができるのです。我欲に囚われてしまった場合、自分が利益を占有することしか考えられませんが、所有欲を捨て、余裕を持って一歩引くことで、相手も自分も幸せになる道を模索することができるのです。

托鉢で言えば、分け与える人が自分のご飯を僧に分けてあげることで、僧の命をつなぐことができますし、僧自身はそこでつないだ命で修行に励み、悟りへの道を進むことができます。

その僧が自らの身をもって修行をし、どうやったら悟れるのかを知れば、それを托鉢してくれた人に伝えることで、その人も救うことができます。仏教の目的として、悟りを開くことにより俗世間のしがらみを捨て、解脱することがあるので、そのヒントを与えられる存在になることは、托鉢してくれた人にとってもメリットがある訳です。

だからこそ、托鉢のときに「托鉢にはする側もされる側もメリットを」なんて言葉が出てきたんですね。

本来的にはそのメリットを考えることも仏教の教えとは離れていそうですが、お互いが救われる道を進む、という考え方ならアリなんじゃないかと個人的には思う訳です。

竜宮小僧は妖精さん的な存在

竜宮小僧になると宣言したおとわは、井伊谷の人々の助けとなるべく行動し始めました。ふと目を離した隙に仕事を終わらせてくれるなんて、妖精さんのような存在ですね。うちの仕事も手伝ってくれないかな……。

出家したおとわがそうした働きをすることで、文字通り小さな僧、小僧として井伊谷の人々に認識されていました。竜宮エッセンスはどこにあるのかはまだ明かされませんが、後半までの伏線になるかも、という期待感で臨みたいところ。

ただ労働の対価としてご飯をもらっている辺りを見ると、托鉢の考えは捨てて、竜宮小僧としてアルバイトしているような印象。まぁ10歳で托鉢の考え方を理解してたら、それはそれで変ですね。

ただ人の畑の野菜引っこ抜いてお咎めなしなのはちょっと……(農家的考え)。井伊谷は井伊家が治めているから、というのはあるかもだけど、税金以外に野菜まで巻き上げるのは領主として残念な感じ、と捉えられても文句言えない気がする。これじゃ破天荒ではなくて傍若無人になっちゃうような……。

頑張った瀬名

4話終盤、今川方にいた瀬名から手紙が届き、龍王丸との蹴鞠対決に勝った旨が知らされます。前回おとわにチャンスを奪われたものの、すぐに今川を去ってくれたおかげで、瀬名も願いをかなえるチャンスを手にすることが出来ました。ほっと胸を撫でおろすばかりです。

あっという間に時間が経過したので、次回からはあちらさんサイドも大人になっていることでしょう。

史実だとこの後は前回のラスボスと関わりが出てくるのですが、どんな感じで話が出るか期待したいところ。

直盛と千賀の苦悩

おとわの親である直盛と千賀はかなり悩んでいますね。ベテランの役者さん(二人とも51歳)が演じているために落ち着いた雰囲気が出ていますが、おとわが10歳であることを考えると、両親は20代、もしくは30代くらいの時期ではないでしょうか。

その若さで、今川から家を守ること、娘の幸せを願う事、部下の不穏な動きなどに頭を悩ませているのです。とてもじゃないけど彼らには頭が上がりません。

直盛はその優しさから、ともすればへたれとも呼ばれてしまいがちですが、今回は意地を見せました。小野政直が斬られそうになったところを救い、しかし小野にも釘を刺すという恩を売って首輪を締め直すいい手でした。

小野を斬らなかった理由も直盛らしさが出ていましたね。小野を斬ることは、鶴丸から親を奪う事と同じですから、それを避けようとしました。井伊家の急進派から小野を斬れと急き立てられても、そこだけは譲れなかったのでしょう。

戦国時代に生きる武将としては弱みになるかもしれませんが、現代に生きる私たちにとっては共感できるところも大きいかもしれません。

また、千賀もおとわを思う気持ちと、家を守らなければならない責務の間でジレンマがありました。出家したにもかかわらず、その日のうちに夕飯を食べに来たおとわを見て、それを咎めます。今川の言いつけで出家したのに、それを破ったとなれば今川のメンツは丸つぶれです。そうなれば井伊家は再度ピンチに陥ることでしょう。

それが分かる千賀だからこそ、娘を守りたい気持ちを押さえてでも厳しいことを言ったのです。戦国時代にあって、家を守らなければならない立場の人の考えが読み取れます。

鶴丸がイケメン過ぎる

鶴丸の精神は、もはや大人と言ってもいいレベルで成熟してるんじゃないでしょうか。

おとわが野菜泥棒した後悩んでいるタイミングで現れ、アドバイスをして導く鶴丸。僧として亀之丞をサポートする道を示しました。

おとわが「出家マヂ辛い。こんなことなら鶴丸と結婚した方が良かった」なんていう相手の気持ちを全く考えない系主人公のような発言をした後に、自分の気持ちを出さずに相手の立場から道を示すなんて、鶴丸イケメン過ぎ。

まぁでも10歳の子供が出家して、今までの生活からガラリと変わってしまう世界に放り込まれたら、他人を気遣っている余裕がないよね。きっと鶴丸もそれを分かっているからこそ、おとわを見守るスタンスを崩さなかったんだろうなー。もう鶴丸が主人公でいいよ。

まとめ

なんかこう……いろんなエピソードを入れたかったけど尺が足りなくて削った結果、ちぐはぐな部分が見えてきちゃった、みたいな印象を受けました。NHK出版から出ているノベライズ本は丁寧に書かれているようなので、補完されているのかな。

来週から青年時代に突入し、阿部サダヲさん演じる徳川家康も出てくるようなので、その辺を楽しみに待つことにします。

おまけ

サブタイトルの元ネタ集作りました。