西郷どん第3話「子どもは国の宝」武士と貧困とドロドロな政争と

2020年2月9日

お家騒動は犬も食わぬ

とどでございます。

前半、貧困に苦しむ武士の姿が描かれたと思ったら、島津久光の母・由羅の名を冠した大粛清が。

お金に関しても辛い状態なのに、その上島津斉興(父)と島津斉彬(子)の政争まで表面化したからさぁ大変。

最後は西郷さんたちが小さい頃からお世話になっている赤山靱負(あかやまゆきえ)まで切腹させられることに。

このままだと西郷さんたちも危うい立場に……。

「子どもは国の宝」というタイトルなのに、藩のトップが自分の子どもと政争しているのは皮肉。西郷さんと父親との喧嘩は可愛いものでしたが、藩主と後継者、のように立場が変わると笑えない状況に。

相変わらず西郷さんを取り巻く環境はハードモードです。

侍も生活が苦しい

西郷さんの家も家計が苦しいようで、ドスファンゴイノシシを狩って食費の足しにしているようです。

じいちゃんの薬も必要だし、弟は腹痛で苦しんでいるから医者に見せたいしで、いかんせんお金が必要な様子。

西郷さん本人は刀や家を売ろう、なんて主張するものの、西郷さんのお父さんは「刀や家は侍のプライドだ!!」と誇りを持っている様子。

結果として豪商に頭を下げて100両を借りることに。1両ざっくり10万円とすると、1000万円の借り入れ。

おおぅ……結構借りましたね。

ナレーションにもありましたが、明治に入っても返していたとのことなので、20年以上返済生活が続いていたのかな。住宅ローンみたい。

侍のプライド

100両を借りて帰る途中、芋泥棒として追いかけられている少年・半次郎と行き合いました。

見事な剣の腕で追っ手に対抗します。

どうやらもともと武士の子どもだったようで、自分の家の畑だったところから芋を掘ったみたい。

後で分かることですが、この少年の父親は藩のお金を使い込んで、その埋め合わせとして畑を召し上げられたようです。

少年たちは後に脱藩しようとするものの、西郷さんに引き留められたことで「侍としての誇りを捨てず、薩摩で生きていく」と決心しました。

今回は侍としてのプライドがキーワードになっていました。

侍の世界を守る調所広郷、新しい風を生む島津斉彬

500万両の赤字に苦しむ薩摩の財政を10年で立て直したスーパーヒーロー調所広郷(ずしょひろさと)。

彼については前回熱く語ってしまったのですが、今回は彼が薩摩の立て直しのために行なった琉球、清との密貿易を咎められてしまいました。

これを密告したのは島津斉彬。現藩主の息子です。

琉球出兵など、これだけの話を調所広郷の独断で進められるはずがなく、背後には現藩主の島津斉興がいるはず。

調所広郷を咎めることで、その背後にいる島津斉興を失脚させようとするのが斉彬の狙いです。

調所広郷のスタンスは、薩摩の財政の維持。斉彬のひいじいちゃんである重豪(しげひで)が蘭癖(らんぺき)による浪費によって薩摩藩の財政を悪化させ、領民が苦しんだのを見ているため、同じく蘭癖の斉彬が藩主になるのはあまり喜べない立場でした。

蘭癖とは、ざっくり言えば外国かぶれのこと。外国の知識を取り入れることは、今となっては見識を広げる意味でも良いことですが、そのために美術品や陶芸品を買いあさってはお金がどんどん飛んでいきます。

さらには大砲などの武器研究もしていたようですし、美術品どころではないお金が飛んで行ったことでしょう。

そのため、藩の財政を悪化させたくない調所広郷は、斉彬の弟である久光を推すようになります。

一方、斉彬は西洋の知識を得ていることから、欧米諸国の手が日本にも差し迫っていることを察知します。

1848年時点ではイギリスと清が戦ったアヘン戦争(1840-1842)の結果も届いているでしょうから、日本、特に西側にある薩摩に危険が迫っていることを危惧しているわけです。

そのため、重豪が行なっていた大砲の研究など、西洋諸国に対応する策に乗り出しました。

今なら薩英戦争や黒船来航があったことを知っているので斉彬を応援できます。しかし、当時の日本にいたら、200年以上国内で大きな戦いがなかったのだから、この平和がずっと続くのだろうと考えてしまうのもやむなしです。

こうしたスタンスの違いは同じ薩摩にありながらも対立を生んでしまいました。

結果として、調所広郷は全ての責任を被って毒を煽りました。主君を守るために体を張る、彼の「侍としてのプライド」の現れでした。

権力争いのお由羅騒動

調所広郷が服毒自殺をしたことで、斉興はブチギレ。

由羅は後継者に自分の子供である久光を据えるチャンスだとばかりに、これに便乗した様子。

斉興が斉彬を廃して、由羅の子供である久光を後継者に据えようとしたことから一般に「お由羅騒動」と呼ばれることに。

薩摩にいた斉彬派の家臣たちが次々と粛清されていきます。

怪しいものは即排除の方針で、疑わしきはバッサリの精神だったようです。

斉彬派の有力者で、西郷さんたちの先生でもある赤山靱負も切腹を命じられてしまいました。いつも西郷さんたちの力になってくれた先生が窮地に追い込まれます。

斉彬に家督を譲らなかった理由は

それにしても、なぜ斉興は斉彬に家督を譲りたくなかったのでしょうか。

斉彬は正室の子、久光は側室の子ですから、当時の武家的に正室の子を後継者にしそうなものですが。

生誕から辿ってみると、斉彬は江戸で生まれて、斉興の祖父である重豪に可愛がられていたみたいです。重豪の影響から洋学に興味を持って、その知識をどんどん得ていきました。

上でも少し触れたように、重豪は蘭癖によって薩摩の財政を傾かせてしまった張本人。しかも重豪の息子である斉宣が藩主の時代に財政政策に乗り出そうとしたら、後見の立場からそれを妨害してお家騒動(近思録崩れ・1808-1809)にまで発展。

結果斉宣は責任を取って隠居させられ、斉興が藩主となるも、依然として後ろから口を挟んできたようです。

このファンキーなお爺ちゃんが89歳で亡くなって、やっと調所広郷と財政改革に乗り出したら、今度は重豪の思想を受け継ぐ斉彬が家督を譲ってくれと言う始末。

重豪の思想を受け継ぐ = お金を湯水のごとく使う、というある種のトラウマがあった斉興は一向に家督を譲りませんでした。

当時、元服をしたら家督を譲るのが通例だったようですが、斉彬は結果として40歳になるまで家督を譲ってもらえなかったことを考えると、かなり溝が深かったことが伺えますね。

斉興の視点だと、自分の父親に家督を譲ったのに実権を握り、挙句財政政策を潰した上で隠居させ、自分が家督を継いだ後もなお実権を握り続けたおじいちゃんですから、その思想を汲む斉彬に家督を譲りたくないのもしょうがない気がします。

画面エフェクトがいい感じ

直虎の時にはあまり見られなかった画面エフェクトが随所に見られました。

西郷さんと父・吉兵衛が100両のお金を借りて帰る時には、映画のような感じのエフェクトでしたし、小判自体にもキラキラするエフェクトが。

熊吉のおばぁに米を届けた次の早朝、侍少年の一家が夜逃げしようとするシーンは早朝っぽい色調になっていました。

調所広郷と斉彬の会話シーンも、より寒さを感じるような色調だったように思います。

映画のような画面表現が随所に見られて、演出も気合い入ってるなぁと感じます。

まとめ

ここにきてお家騒動にまで発展し、斉彬に味方している家臣たちがどんどん窮地に追い込まれてしまいました。

有力な家臣の赤山靱負も例外でなく、切腹を言い渡されてしまいました。子供の頃からお世話になっていた彼が窮地に陥り、西郷さんたちも辛い状況に。

相変わらず薩摩藩がハードモード過ぎてハラハラします。

兄さぁ、姉さぁ、次でございもす。