知識と知恵の違いって? 知識は材料、知恵は考える力
知識、知恵、とはよく聞く言葉です。あの人はたくさんの知識を持っている、とか、おばあちゃんの知恵袋、など。
これらは似たような意味合いで使われることが多いですが、改めてその違いについて考えてみたいと思います。
知識と知恵
知識、知恵、それぞれの意味について考えてみましょう。
デジタル大辞泉から引用すると、知識は、
知ること。認識・理解すること。また、ある事柄などについて、知っている内容。
とあり、知恵は、
物事の道理を判断し処理していく心の働き。物事の筋道を立て、計画し、正しく処理していく能力。
とあります。ここを出発点としてみましょう。
知識は、上記の意味から、ある事柄に関する情報とも言い換えることができるでしょう。例えば、「本能寺の変」という事柄に対し、「1582年、本能寺にて織田信長が、家臣である明智光秀の謀略により自刃した事件」という情報を持っているとすれば、これは本能寺の変に関するあなたの知識と言えます。
ゲームで例えれば、「キズぐすり」というアイテムに対し、「使うとポケモンのHPが20程度回復する」という情報を持っていれば、キズぐすりに関する知識がある、と言えるでしょう。
この「情報を得る」という行為が「知る」ということに該当します。知識が豊富、という状態は、こうした情報を多数持ち合わせているということだと私は考えています。
これに対して知恵は、その情報を処理していくことと言えます。
例えば、「ひこうタイプはいわタイプの技が弱点だから2倍のダメージ」という情報や、「ほのおタイプはいわタイプの技が弱点だから2倍のダメージ」、「リザードンはひこうとほのお両方のタイプを持っている」という情報を組み合わせることで、「リザードンに対していわタイプの技で攻撃すれば4倍のダメージになる」という情報が導かれます。
このように、今持っている知識から、新しい情報を導き出す行為が知恵に該当します。
どちらも、物事に関する情報についての言葉ではありますが、意味合いが異なっていることがわかりました。では、それぞれについて詳しく考えてみることにしましょう。
知識は足し算
知識について見ていくにあたって、量的側面と質的側面から考えていきたいと思います。
知識の量という側面
知識はその量の多寡が話題に上ります。あの人は知識が豊富だ、とか、自分はこの分野に関する知識が少ない、などといった使われ方がされます。情報であることから、明確に1つずつに分解することは難しいですが、情報のまとまりという単位で考えたときに、多い、少ないという考え方を当てはめることができます。
知識は、ある事柄に関して持っている情報、という形で語られることが多く、ある事柄(キーワード)に対して、1対1、あるいは1対多というように情報を保持しています。知識量、という言葉は、持っている情報の量、と考えられます。
知識の質という側面
また、知識は、その持っている情報の質によって、プラス、またはマイナスの知識と捉えることもできます。プラスの知識とは、いわゆる正しい知識のことです。
この正しさは、他の人も同じように考える情報か、再現性のある情報か、という点から担保されます。簡単に言ってしまえば、みんなが「それは正しい情報です」と認めていれば、それは正しい知識となります。
学校の授業で得る知識の多くは、先人たちが、その情報の正しさを検証したものになりますね。テストなどは、それに基づいて正しい解答だ、もしくは正しくない解答だ、と判断されます。
では逆にマイナスの知識とは何でしょうか。これは、いわゆる間違った知識のことです。
プラスの知識の場合と同様に、他の人も同じように考える情報か、再現性のある情報か、などといった観点で判断され、他の人は違うと考える情報、もしくは、再現性がない情報である場合に、間違っている知識だ、と判断されるでしょう。この間違いは多くの場合、反例という形で指摘されます。
例えば、「ほのおタイプのポケモンにはくさタイプの技が有効」という知識があったとしましょう。この知識を持っている人は、「ほのおタイプのポケモンにはくさタイプの技が有効」という情報が正しいと考えているため、リザードンに対してくさタイプの技であるはっぱカッターで攻撃するかもしれません。
このとき実際には、「効果はいまひとつ」というメッセージが表示されます。このメッセージが反例となり、先ほどの知識が間違いとして指摘されるのです。
勉強的なな例を挙げれば、ガリレオ・ガリレイが客観的なデータを反例として、天動説として考えるより、地動説として考えたほうが良いと唱えたことも例のひとつです。
当時の人々の間では、天動説が正しいと信じられていましたが、それに対して反例を示したことで、より正しい考え方を提唱したのです。2016年時点では、地動説の方が正しいと信じられていますが、これに対して客観的かつ再現性のある反例が示されれば、これよりも正しいとされる情報が出てくるかもしれません。
ガリレオの例で挙げたように、知識に対して、「より正しい」という表現をしました。知識は、必ずしも正しい/正しくないの2つに分類されるのではなく、「全体的に検証が十分であり、万人が正しいと支持するもの」や、「全体的に納得できる点もあるが一部検証が十分でないもの」であったり、「一部は納得できるがデータが足りない部分が多いもの」といったように、「正しい知識」の枠の中でも、尺度が存在します。
では何を持ってマイナスと表現したのかと言えば、この後に述べる知恵の観点、つまり、情報処理をする際に誤った結果(知識)を導く可能性があることを考慮してのことです。
ガリレオの例では、天動説、地動説という真逆の立場の知識が登場しました。これをベースに考え、他の知識を結びつけた際、出発点が異なるために別方向の結論が導かれるでしょう。このように、結論が違う方向を向く点をマイナスと表現しています。
知識に関しては、プラスの知識を多数持つことが重要になります。
知恵は掛け算
知識は足し算であるのに対し、知恵は掛け算であると私は考えています。
知恵とは、先述の通り、情報の結びつけを行い、新しい知識を導き出す行為、およびその能力を指します。この点から言えることは、知識がなければ知恵も発揮できない、要するに、0に何を掛けても0、となってしまうのです。
ポケモンの例を続ければ、ポケモンに関する知識のない方が、いきなりリザードンと対戦するようなものです。相手の弱点は知らないし、そもそも自分のポケモンの技すらまともにわからない、そんな状態では何もできないか、思考を停止して適当に操作するしかないですよね。
ある事柄について何も知らない状態では、知識を組み合わせると言っても、どうしようもありません。材料がない状態で料理をしろ、と言われているのと同じです。お鍋などの調理器具があるのに加えて、人参、じゃがいも、玉ねぎ、お肉、カレールーといった材料があってカレーが作れるのです。
知恵とは、考える力、と言い換えることができます。既存の知識から、それらをうまく組み合わせることで新たな知識を生み出す、それが考える力なのです。考える力なくして発展はありませんが、かといって考える力だけあってもどうしようもないのです。
知識が増えれば増えるほど、それらの組み合わせは多くなります。知識量が多ければ、思わぬ考えが浮かぶ、というのはこれによるものなのです。
また逆に、誤った知識が多くなれば多くなるほど、その知識を使って結びつけを行う確率は上がってしまうでしょう。マイナスの知識を掛け合わせてしまえば、マイナスの方向に向かってしまうのです。
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知識だけがあっても、それを組み合わせることができなければ、覚えた知識分の力しか発揮できません。これとは逆に、知恵という考える力だけがあっても、ベースとなる知識がなければ、生み出せるものは多くないでしょう。
もうお気付きかもしれませんが、この2つはどちらが欠けてもうまく機能しない、相補的な関係なのです。
学校のテストだけ考えるのであれば、知識だけを増やせば何とかなることも多いでしょう。しかし、社会人の方々は承知していることかと思いますが、社会に出てからは、知識があるだけでは種々の問題に太刀打ちできないでしょう。なぜなら、答えが用意されている問題は稀であり、むしろ自分で考えた上で、答えを導かねばなりません。
このとき、考える力が非常に大切となり、そこに知識量が加わることにより、その解決策の幅が広がっていくのです。
知恵による知識の生成
知恵は考える力、と上で述べました。実は、この知恵によって生み出された情報は、また新しい知識となります。
その分かりやすい例が、物理の法則や数学の公式です。例えば、オームの法則は、今や広く知識として知られていますが、これを導き出したのはオームさんの知恵によるものです。彼は何もないところからこの法則を生み出したのではなく、それまでの実験データと推測を結びつけ、法則を導き出しました。
このように、オームさんは知恵を使って知識を生み出し、私たちは、最初からそれを知識として認識します。現在、私たちが知識として得ているものは、先人たちが知恵を使い、苦労の末に導き出したものなのです。
この点から言いたいのは、ぜひあなたにも知識の導出過程をなぞってほしい、ということです。これを行うにあたって、大きなメリットが2点あります。
- 知識の理解度が高まる
- 知識の結びつけの力を鍛えることができる
1点目については、生み出された知識を「知る」だけでなく、どのような知識をベースとして考えたのかを明らかにすることで、より多くの情報が手に入ります。
結果の知識を知っているだけでは、必ずしもそれを使えるとは限りません。どのような知識をベースにしてこれが生まれたのかを考える、つまり、分解して考えてみることにより、理解が深まっていくのです。
2点目に関しては、知恵のパターン学習を意味しています。先人が使った知恵をなぞることにより、それをパターンとして取り込むことができます。
既存の知識の中で、どの点に着目して新たな着想に至ったのか、それらをどうリンクさせたのか、というのを学ぶことができます。さらに言えば、既に成功例として残っているため、お手本として使えるのです。
ここから学んだ力をそのまま使えることは少ないかもしれませんが、パターンの1つとして持っておくことで、自分のやり方に応用し、新しい知識を導くことができるでしょう。いわば、先人の知恵を知識として取り込むことができるのです。
まとめ
知識と知恵について、その性質を考えてみました。その結論として、知識と知恵は別物ですが、どちらも磨く必要があるもの、と言えます。知識があることにより、考える力である知恵が最大限発揮できるのです。
どちらか一方に偏重することなく、バランスよく磨くことで大きな力を発揮できるでしょう。
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[…] ※長文になったため、「知識は足し算」までは前のページに記載しています。 […]