【意識高い系】人は何故カタカナ語を使いたくなるのか【やめて!】
とどでございます。
最近話題のカタカナ語。結構前から「意識高い系ワード」なんて形で言われていましたが、小池都知事が頻繁にカタカナ語を使っていることで、またメディアでよく見かけるようになりました。
このカタカナ語、前の会社にいたときに使っている人がいたんです。
「次で例の件フィックスするから、ミーティングをアレンジしといて。あ、アジェンダ先にシェアしといてね」とか、「例のプロジェクト、彼のタスクが多すぎてボトルネックになってるんだよね。サポートの人員アサインしないと」とか。
まぁこれを言っていたのはただ1人だったのだけれど、結構印象に残っているものですね。意味合いが何となくわかっても、伝わりにくいから私はあまり使いたくならないんですけどね。
ここでは、上記のカタカナ語の解説を交えつつ、人はなんでカタカナ語を使っちゃうのか、というかカタカナ語と呼ばれている言葉ってそもそもなんぞ? という点を考えたいと思います。
冒頭のカタカナ語の解説
冒頭で紹介したカタカナ語の意味を解説してみたいと思います。
「次で例の件フィックスするから、ミーティングをアレンジしといて。あ、アジェンダ先にシェアしといてね」の方から見てみましょう。
フィックス
英語のfixから来ています。
固定する、とか、決定する、という意味合いを持った単語です。IT業界では、仕様の最終決定を行う、とか、転じて仕様書が最終版となった様子を表したりします。
ミーティング
英語のmeetingから来ています。
会合とか、打ち合わせ、会議といった意味合いを持つ単語。これは分かりやすいですね。予定表にはMTGって書かれることもしばしば。カードゲームをしている訳じゃないです。念のため。
アレンジ
英語のarrangeから。
整理する、とか、何かを行うための準備を整える、手筈を整える、といった意味合いを持っています。音楽用語では編曲するという意味も。
会議の日時設定、参加予定者への通知、議題の設定など、これらをひっくるめた準備のことを指していることが多いようです。
アジェンダ
英語のagendaから。
検討すべき課題、議題や、当面の予定、スケジュールといった意味を持っています。やるべきことがリストで並んでいるもの、というニュアンス。
会議のアジェンダだったら、会議で話し合う項目、つまり会議の中での議題を指しますし、次の四半期のアジェンダだったら、次の四半期でやること、つまり計画を指します。
ちなみに隠された意図、なんて意味もありますが、ビジネスの文脈で使われることは少ないと思います。
シェア
英語のshareから。
共有する、分け合う、といった意味です。facebookのシェアボタンを押したことのある人にとっては分かりやすい意味だと思います。上記の話題では、議題を事前に共有してください、という意味になります。
マーケティングだと、市場占有率なんて意味で使われるので、文脈が大事です。
彼は何を言いたかったのかまとめ
彼の意図を汲み取ると、「次回、例の件の仕様を最終決定するので、会議の日時設定や準備をしておいてください。議題については、事前に参加者に共有してくださいね」と言いたかったのだと思います。
うん、日本語でいいじゃないか。
もう一方の解説
もいっこ例を挙げたのでそちらも。「例のプロジェクト、彼のタスクが多すぎてボトルネックになってるんだよね。サポートの人員アサインしないと」の方です。
プロジェクト
英語のprojectから。
ある目標を達成するための計画、事業計画といった意味です。動詞として使えば、投射するなんていう意味ですね。プロジェクションマッピングは投射、投影の意味の方です。
タスク
英語のtaskから。
課された仕事、任務、課題といった意味。ビジネス系の本を読むと、タスク管理なんて言葉がよく出てきます。これは辞書的な意味のやらなきゃいけないお仕事、と思えば問題ありません。
スティール・ボール・ランに出てきた黄金の回転の牙(タスク)はtuskなのでお間違いなきよう。私は最初こっちと同じだと思って、上司が「タスク、タスク」と連呼しているのを聞いて「JOJOが好きなのかこの人」なんて勘違いをしてました。
ボトルネック
英語のbottleneckから。
進行を妨げる、なんて意味があります。ボトルの首ってなんぞや? と思ったときには、砂時計の細くなった部分を思い出すといいかも。砂の落ちる通路が狭いことから、そこで詰まって上の砂はなかなか落ちていきません。あのイメージです。
つまり、プロジェクトの進行を妨げている箇所、という意味合いでこの言葉が使われます。
サポート
英語のsupportから。
支援する、支持するといった意味。これは殆ど日本語であるかのように使われるので、分かりやすいと思います。
RPGなんかでは補助魔法がよく出てきますね。メガテンでは補助魔法の大切さが学べます。FF7では支援マテリアなんてのもありました。
アサイン
英語のassignから。
割り当てる、指定する、配属する、といった意味です。仕事を割り振ったり、誰かをプロジェクトの要因として配属したり。プロジェクトに人をアサインする、なんて使われ方をします。
彼は何を言いたかったのかまとめ
こちらも意図を汲み取れば、「例の計画ですが、彼の担当する作業が多すぎて、計画の進行を妨げる要因になっているようですね。支援のための人員を配属させないといけません」となるんだと思います。
うん、日本語で十分通じるじゃないの。フリーザ様みたいな口調になったのはご愛敬。
まぁプロジェクト、サポート辺りは浸透しているからそのまま使ってもいいのかもしれませんね。
[ad_code]何を持ってカタカナ語と呼ぶか
カタカナ語の例を挙げてみましたが、全部元は英語でした。カタカナ語と言いつつ、そのほとんどは英語であるような印象です。あとよく聞くカタカナ語であれば、レジュメでしょうか。これはフランス語です。
じゃあ何をカタカナ語を呼ぶかと言えば、外来語がそれに該当しそうですね。でも単純に外来語を全部ひっくるめて「カタカナ語」と呼んでしまうには語弊がありそう。
アルバイトなんて言葉は、元々は外来語だけど今やほとんど日本語であるかのように使われていますし、多くの人が「副業」とか「内職」なんて意味で使ってます。(大元のドイツ語であるarbeitでは、こうした副業的な意味合いはなく「労働」という意味です。念のため。)
私たちの生活に溶け込んでいる言葉については、取り立ててカタカナ語と呼ばれることが少ないように思います。なぜなら、上記のアルバイトのような言葉は、多くの人に浸透していることから、お互いに意味合いを理解していることが多いためです。
つまり、言葉の意味合いに対してお互いに共通認識を持っている場合は、意識高い系()なんてやり玉に挙げられることはありません。
しかし、発言者のみが意味を理解している言葉、つまり言葉の受け手との共通認識を持てていない外来語を使った場合、「カタカナ語」と言われる可能性が高くなります。さらに言えば、本来日本語で述べたとしても問題のないところで、あえて共通認識を持っていない外来語を導入した場合に、お互いの認識に齟齬が生じる可能性があることから指摘されることが多いじゃないでしょうか。
ここでの共通認識は、会話を成立させるために必要な共有情報、背景を指します。あえてカタカナ語で言えば、コンテクストです。
日本語の場合、こうした情報や背景を共有している前提で会話がなされることが多いです。すると受け手側は、自分と共有する背景の範囲内でメッセージを受けることを期待します。つまり、新たに意味を調べるなどの労力が必要でないメッセージを期待する訳です。
このときメッセージの発信者が、その期待から外れた言葉を使ってしまうことで、場にそぐわない言葉、もっと言えばずれた言葉を使っているな、と判断されてしまうのです。それが「カタカナ語」なんですね。
上記をまとめれば、私の考えるカタカナ語とは「本来日本語で意味が通じる文脈においてあえて使われる言葉で、お互いが共通認識を持っていない可能性が高いことから、受け手が理解するのに負担となり、認識に齟齬が生じる危険性がある外来語」です。
なぜカタカナ語を使いたくなるのか
カタカナ語を使ってしまう理由として考えられるのが、以下の3点です。
- 普段属している集団で使われている言葉だから
- 自分が多くの言葉を知っていることをアピールしたいから
- 覚えたての言葉だから
普段属している集団で使われていれば、そこでの言葉を使ってしまうのはしょうがないことです。慣れているので。
例えば、2年間アメリカのIT企業に出向していた上司が日本に戻ってきた、なんて場合は、その上司はアメリカで使用していた言葉を発する可能性が高くなります。向こうで日本語を使う訳にはいきませんから、それに慣れてしまえば、日本に帰ってきて慣れた言葉が出てきてしまうのは仕方のないことです。
2番目はちょっと厄介な点。知っていることをアピールしたいだけの場合、相手にどう伝わるかまで考えていない可能性があるんですよね。コミュニケーションで大事なのは難しい言葉を使う事ではなく、意図やメッセージを伝えることです。それも受け手に分かりやすく、です。
この点が抜け落ちていると、自分が知っているだけの言葉を使ってしまいがち。そしてこのときその象徴となるのが「カタカナ語」なんです。
3番目は、子供の様子を想像してもらえると分かりやすいかもしれません。子供って覚えたての言葉をどんどん使って、フィードバックを得ていきますよね。カタカナ語を使う人も、その過程にいるんだと思います。
問題はカタカナ語を使う人がフィードバックを得て、反映しているのか、という点ですね。「カタカナ語を使うことこそが正しいのだ」なんて思って喋ってたら、相手の反応を考えずに相手に伝わらない言葉を使い続けるだけ、なんて危険性も。
[ad_code]子供が幼稚園で覚えてきた言葉への違和感に似ている
カタカナ語に対する違和感は、子供が幼稚園で覚えてきた言葉への違和感に似ているんだと思います。
友人から聞いた話になりますが、小さな子供がいる彼の家では、汚い言葉遣いをしないように気を付けていたそうです。幼稚園に入るまでは、彼の子供も汚い言葉遣いをしなかったそうですが、幼稚園に入ってしばらくしたら汚い言葉遣いを覚えてきたようで、家でそれを言い出して困った、なんて話をしてくれました。
家の中で汚い言葉遣いをしないようにしよう、なんて考えていても、全ての家庭が同じ方針であるとは限りません。すると、幼稚園で汚い言葉遣いをする子に会うことも無い訳ではありません。子供がそうした言葉遣いに触れた場合、「家で聞いたことのない言葉 = 新しい言葉」として、その言葉を覚えようと努力しちゃう訳です。
しかも、「幼稚園の子供たち」という集団内で頻繁に使われる言葉であれば、それに慣れてしまう可能性もあるのです。その状態で家に帰ってきて、幼稚園と同じように話せば、親は「こんな変な言葉覚えてきて……」と違和感を覚えることも。
自分の属する集団内で使われない言葉が、別の集団、コミュニティから持ち込まれたとき、その集団との共通認識がないために違和感が生まれます。カタカナ語って、この違和感に似ているような気がします。
カタカナ語を使うメリット
「なんでカタカナ語を使ってしまうのか」という部分に焦点を当てましたが、彼らには彼らなりのメリットがあるはずです。メリットがないのにこんな言葉を使ってるならただの厨二病痛い人ですし。
彼らの立場になって考えると、以下の3点がそのメリットではないかと思います。
- 複数の意味合いをひとつの単語に集約できる
- カタカナ語を理解している人同士で仲間意識が強くなる
- なんか格好良さそう
複数の意味合いをひとつの単語に集約できる
カタカナ語の中には、文脈によって複数の意味を内包するものがあります。
例えば資料を共有してという意味で「シェアしといて!」と言う時は、仲間内で情報共有をすることを期待しています。ここではメールで送るのか、印刷して直接渡すのか、それともパワポを使いながら情報は口頭伝達するのか、手段は含まれていません。
発言者としては、仲間内の情報共有が行えればどんな方法でもよく、言葉を受け取った相手が適切に行動してくれるだろう、という期待感があります。具体的な手段を指定せずに抽象化した情報だけで上手くやってもらおうという魂胆です。
特に普段慣れ親しんでない言葉の場合には、どういう意図で言ったんだろう、どういう意味に捉えればいいんだろう、とよーく考えるようになります。実際、日本語の論文をスラスラ読むより、英語の論文で四苦八苦しながら読んだ方が、論文に書かれた概念の理解を深めることができた、なんてこともありますし、言葉の意味をよく考えさせるのは教育的には効果があります。
言葉を受け取った側の負担を除けばですけど。
カタカナ語を理解している人同士で仲間意識が強くなる
例えばアメリカに行って、日本人と会うと仲良くなりやすいのと同じように、カタカナ語を理解している人同士では仲間意識が強くなります。
新規のプロジェクト内で、カタカナ語を使うようなルールを設けていれば、プロジェクトメンバー間の結束は高まるかもしれません。
使う言語の共有というのはそれだけ効果の高いものです。特に、社内の人々がカタカナ語を使っていない場合は効果が倍増します。特別感が高揚感に繋がり、テンションが上がるんです。
この高揚感を共有している状態は、お互いの距離を縮めてくれます。よく「外国で出会った日本人同士で意気投合してそのまま結婚」なんて話を聞くのはこのためです。
なんか格好良さそう
カタカナ語を使う理由で一番大きいのはこれじゃないかな。
上でもちょっと触れましたが、他の人が使っていない言葉を使っているのは特別感に繋がります。
ただカタカナ語を使うだけで特別感を得られるなんて、とてもコストパフォーマンスが良い行動じゃないでしょうか。「よし、これでフィックスしよう」と言うだけで、格好いいと(自分では)思えるのですから。
自分は特別な存在だなんて謎の設定を作って、友達に自慢する中学生のようですね。
問題は周りの人がすごいとか格好いいと思っておらず、「あいつ訳がわからないよ」と引いていることなんだけど。
どうしてもカタカナ語を使いたくなったら
私はカタカナ語を使うこと自体を否定するつもりはありません。日本語だけでは言い表せない含意、ニュアンスがある可能性だってあるし、それを使った方が早くメッセージを伝えられる場合もあります。
そこでもしあなたがカタカナ語をどうしても使いたくなったら、ずばり相手とカタカナ語の共通認識を作っておくこと、これが重要です。ほとんど日本語に溶け込んだアルバイトのように、あなたの属する集団において、そのカタカナ語を浸透させる必要があります。しかも使うメリットを添えて。
例えば、あなたが上司の立場にいたとして、あるビジネス書に登場するカタカナ語を使って部下とやりとりしたくなったとしましょう。目的は、その概念に関する意思伝達をカタカナ語1語で言い表すためです。つまり意思伝達の効率化です。
そうすると、あなたは部下に次のようなことを言う必要があります。
「これから、あなたの今後のビジネスにおいて役に立つ概念を伝えたいと思います。しかし、これはアメリカで考案された概念なので、それを今後日本語でやり取りするには会話が大変です。そこで、この概念に関する言葉を1語でやりとりしましょう。いかがですかザーボンさん。」
そしてあなたが伝えたい概念が書かれた本を渡せば、部下は「めんどくさ! ……でも仕事で使われるって言われちゃったし、役に立つとも言っていたから、しょうがない、読むか……」と思いながらも読み、今後そのカタカナ語での意思伝達が可能になるのです。
このようにカタカナ語を使う前にその共通認識を作っておけば、「違和感のない」言葉として使うことができます。問題はこんな面倒くさいことをしてまでカタカナ語使いたいか? って点ですね。メリットが大きければ、共通認識を持った上でカタカナ語を使うのがいいでしょう。
まとめ
人は何故カタカナ語を使いたくなるのかを考えてみました。同じ言葉を使っている人同士で仲間意識が強くなるなど、メリットがないわけではありません。
共通認識が無い状態で安易にカタカナ語を使った場合、「あなたがどう受け止めるかまで考えてないよ」というメッセージを送ってしまう可能性があるので、注意が必要です。
相手の理解において負担とならない言葉を選ぶなど、コミュニケーションには思いやりが大事なのです。