レッテル貼りは成長を妨げる! 思い込みを捨て、物事を見極めよう

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レッテルを貼る

ある人物や物事に対して、一方的に、あるいは断定的に評価を付ける行為として、レッテル貼りがあります。

例えば、「佐藤さんはA型だからこういう性格だ」とか、「これだから最近の若い者は……」といったものです。この行為は、脳への負担は少ないのですが、残念ながら成長にはつながりません

なぜなら、外部から得るのはA型という情報だけで、あとは自分の中にある情報だけで処理を行っているからです。この点について考えてみたいと思います。

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目次

  1. 理解の枠組み・スキーマ
  2. レッテル貼りをしてしまう危険性
  3. 間違ったスキーマの例
  4. スキーマの修正
  5. 修正のためには新しい情報を受け入れる
  6. まとめ

理解の枠組み・スキーマ

人間は、自分の中の情報を一般化する力を持っています。これはスキーマと呼ばれ、理解の枠組みとなる知識のまとまりなのです。

例えば、「犬はワンと鳴く」、「犬は4本足で歩く」、「犬はお手をする」といったものは、犬に関するスキーマです。このスキーマがあることによって、「ワン」という鳴き声が聞こえたら、吠えたのは犬だろう、と推測することができるのです。

プログラミングをやったことのある人は、メソッドとか関数とかを思い浮かべてもらうのがいいでしょう。犬の判定メソッドに「鳴き声がワン」という引数を渡せば、「犬です」と返ってくるイメージです。

このようにスキーマは、少ない情報から推測を行うために役立ちます。

レッテル貼りをしてしまう危険性

一方で、これがレッテル貼りにつながる危険性もあります。冒頭の例では、佐藤さんはA型という少ない情報から、自分の中のスキーマによって、こういう性格だという推測を導き出しているのです。

なぜこれが危険かと言えば、スキーマによって導き出した推測にこだわり、知る努力をしなくなるためです。

特に、同じスキーマを使って推測するというのを何度も繰り返している場合、そのスキーマは正しいものだと思い込んでしまうのです。

これにより、佐藤さんの詳しい情報を聞いたとしても、自分の出した推測に沿った情報しか受け入れない、なんてこともあります。

間違ったスキーマの例

今回は、間違ったスキーマの例として血液型ごとの性格を挙げました。もはや周知の事実ですが、血液型による性格診断は全くのでたらめです。

私の高校時代、先生がある実験をしました。血液型ごとの性格を印刷したプリントを見て、生徒が自分の血液型、性格と合っていると思ったら手を挙げるというものです。

このとき9割のクラスメイトが、プリントに記載された血液型ごとの性格と自分の性格が一致していると考え、手を挙げました。しかし実は、プリントに記載された血液型ごとの性格は、一般的に言われているものと別の血液型の欄に記載されていたのです。

一般的に言われていたA型の性格をB型の欄に、一般的に言われていたB型の性格をO型の欄に、といった形です。

つまり、一般に言われている血液型ごとの性格は、血液型に関係なく、誰にでも当てはまるような内容だったのです。

スキーマの修正

スキーマは知識のまとまりである以上、間違っている可能性だってあるのです。

しかし、このスキーマはなかなか頑固で、自分では間違っていることに気づけません。これって結構怖いことです。

プログラマ的に言えば、メソッドのテストで、有効値しか確認してないまま放っておくくらいの危険度です。

そこで、なんらかの反例を挙げてスキーマが正しいか確認する必要があります。上記の先生の実験では、血液型と性格が一致することに対する反例を挙げ、血液型と性格に関する生徒のスキーマを修正しています。

修正のためには新しい情報を受け入れる

スキーマの修正のためには、スキーマに合わない情報も受け入れていくことが大切です。冒頭の佐藤さんの例では、佐藤さん個人についての情報を聞いてみる、というのが大事ですね。

血液型のような、1つの属性情報だけで人の性格を判断するのは、相手に対しても失礼です。

確かに、スキーマの修正は一筋縄ではいきません。特に、長年そのスキーマを使っていた人からすれば、苦労は大きいでしょう。スキーマを修正することは、そのスキーマを使って推測を行った過去の自分を否定することでもあるからです。

これは苦しいことではありますが、しかし、より良い未来のためには過去を素直に受け止めることも必要です。

敬意を払うことがレッテル貼りを避ける

スキーマによる推測は、少ない情報から推測する際には有効な場合もあります。しかし、情報を得る手段があるときは、スキーマに頼るというのは避けるのが賢明です。

相手をよく知ろうとする姿勢は、相手への敬意の表れでもあります。敬意を払わなければ、あまりよく知ろうとしないでしょう。そして少ない情報から自分の中で推測するしかありません。

「これだから最近の若者は……」というのは、彼らにとっての「若者」に対する敬意を払っていないことの表れでしょうし、「じいさんたちは頭が固い」というのは、逆に彼らにとっての「じいさん」に敬意を払っていないことの表れと言えるでしょう。

敬意を払うこと、思いやりを持つことが、レッテル貼りから遠ざけてくれるのです。

まとめ

レッテルを貼る行為は、新しい情報の受け入れを拒否することにも似ています。新しい情報を受け入れないということは、成長から遠ざかる行為です。

レッテルを貼らないようにするためには、相手に敬意を払い、思い込みによる判断を行わないことが大切です。