千と千尋の神隠しは「境界」がテーマになっている神話であり英雄譚

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トンネルは境界

とどでございます。

ちなみにリアルタイム検索で「ちひろ」と検索してみたら、鬼や悪魔と並べられるあの人の名前が乱舞していました。こわい。

さて、千と千尋の神隠しは英雄譚と神話の構造を持った物語だ、というのは多くの人に言われていることですが、ゲーム大好きっ子の視点からもいろいろと語りたいと思います。特に注目したいのは「境界」です。

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目次

  1. トンネルは異界との境界
  2. 行って、帰るのが大事
  3. 英雄に必要な実力の証明
  4. 宝を手に入れて帰還する
  5. 名前は自己の定義に必要なもの
  6. 経営者として優秀な湯婆婆
  7. まとめ

トンネルは異界との境界

神話や英雄譚にで必要なものは、主人公がいる世界と物語の舞台となる世界の境界です。この千と千尋の神隠しでは、最初にくぐったトンネルがその役割を果たしています。

トンネルを抜けた先が異界であることは重要な要素なのです。神話に限らず、小説でもそうですよね。川端康成の雪国を思い出せば、トンネルがいかに重要な役割を持っているか理解できるでしょう。

世界を分けるシンボルとしてトンネルがよく見られますが、「くぐる」だったり、視界を一度遮られることが「境界」の象徴なのかもしれませんね。

特に日本人にとってこの構造は非常に分かりやすいものです。神社を見れば神様の領域と私たちの領域を「鳥居」という境界で区切っていますよね。

私たちの家でも、内と外が明確に区切られています。その境界は玄関そのものであったり、靴を脱ぐという儀式であったりします。

千と千尋の神隠しでは、この境界を明示することで、異界であることをはっきりと示している訳です。

行って、帰るのが大事

上でトンネルの話をしましたが、異界に行くのがトンネルなら、異界から帰ってくるのもトンネルなんです。

そこで大事なのは、「振り返らない」ということ。

ギリシャ神話のオルフェウスしかり、日本神話のイザナギしかり、神話の主人公たちは、大切なものを取り戻すために異界へと赴きますが、そこで「決して振り返るな」だったり、「見ちゃいけないよ」と言われます。

異界を振り返らないことは、異界との決別を意味します。もう来ないよ、の意志表示なんですね。

ただ上述の彼らは異界に行ったものの、大切なものを取り戻しかけたのに禁を破ってしまったので、それを失ってしまったのです。

そう考えると、「千と千尋」の千尋は勇敢でした。ハクに「決して振り返ってはいけないよ」と言われ、その通りに元の世界に戻ったのです。

前を歩いてくれる母親にしがみついていた、というのもありますが、彼らを取り戻したのは千尋の尽力によるものですから、千尋は大きな力を示し、元の世界に戻ってくるという英雄の姿を実現したのです。

英雄に必要な実力の証明

英雄が必ず行わなければならないのが、実力の証明です。ただ振り回されるのではなく、何らかの形で自分の力を示さなくてはならないのです。

ギリシャ神話の英雄の多くは、恐ろしい怪物を倒して実力を示すことが多いです。メデューサを倒したペルセウスだったり。ヒュドラを倒したヘラクレスだったり。

千尋の場合はまず、くされ神の浄化が挙げられますね。他の従業員たちが我先にと逃げる中で、(湯婆婆の命令はありながらも)客として相手をします。その中で、くされ神に刺さっていたとげのようなもの(自転車)の存在を見抜く力を見せ、他の従業員の力を借りながら彼を浄化しました。

そこで手に入れたアイテムであるお団子によって、ハクの呪いを解いたり、カオナシを救ったりする訳です。

実力の証明は必ずしも自分だけの力で行う必要はありません。くされ神の浄化だって、カオナシからもらった札があったからこそできたのです。もちろんカオナシが助けてくれたのは、最初に千尋がその優しさからカオナシを招き入れたことに端を発しているので、手助けをしてもらえるだけの行動をしていたことが大切になります。

宝を手に入れて帰還する

英雄譚では、(悲劇でなければ)最後にを手に入れて元の世界に帰ります。例えば、怪物の隠していた金銀財宝であったり、怪物がさらったお姫様だったり。

千と千尋の場合は、両親がそれにあたります。千尋にとってかけがえのないものを取り返し、元の世界に帰る訳です。

とはいえ、英雄譚で手に入れているのは、もとの世界で持っていなかったものです。千と千尋の場合、両親を異界で失って、異界で取り戻しました。となると、英雄譚の構造が見えなくなります。

しかしよく考えてみれば、エンディングでトンネルをくぐって元の世界に戻った際、ポニーテールを結んだ髪飾りが一瞬きらめきます。

そう、これは千尋が異界から持ち帰った宝の象徴なのです。ものとしては髪飾りですが、これが意味しているのは、「親元を離れている間に受けた、大人からの愛情」ではないでしょうか。

愛情にも様々な種類がありますが、銭婆からの愛は見守る愛、アガペー的な愛なのです。ただ単に甘やかすのではなく、相手を見守りながら自立するのを助ける愛です。

家へと優しく招き入れ、状況を聞きつつ、「両親のことも、ボーイフレンドのことも、自分でやるしかない」と自立を促します。そして、見送る時には「あんたなら大丈夫」と背中を押してくれる訳です。ここは湯婆婆から坊に対する愛情と対照的ですね。湯婆婆は甘やかしまくりですから。

坊は坊で、千尋と出会ったことで自立へと向かっています。湯婆婆の部屋という彼にとっての「現世」を離れ、電車という境界を経て異界(銭婆の家)へと赴き、湯婆婆に甘えるだけでない自立へと向かう自分を手に入れて帰還しました。千尋が両親当てゲームをする前に坊が立ち上がっていたこと、そしてその姿を湯婆婆に見せたことは、自立した精神性の現れと言えます。

名前は自己の定義に必要なもの

千と千尋の神隠しにおいて名前は大事な役割を果たしています。

異界に迷い込んだときに、千尋は湯婆婆に名前を奪われて「千」と呼ばれるようになります。

自分で自分の名前を名乗ることができない、というのは、自己のアイデンティティの喪失な訳です。

ペルソナ的に言えば、聖エルミン学園でペルソナ様遊びをして気絶した主人公たちは、夢の中でフィレモンに名前を問われます。ここで名前を名乗るというのが非常に大きな意味を持ちます。

名前というのはアイデンティティの象徴です。自分と、それ以外を区別するための境界のようなものです。

ペルソナの主人公は、普遍的無意識という個の概念が溶け込んでしまうような世界において、自己を定義する言葉、すなわち名前を名乗ることで、自分自身を定義し、自己の別の側面を認識したことにより「ペルソナ」を使えるようになるのです。

話を千と千尋に戻せば、名前を失ったハクが自分を見失って暴走していた点が顕著ですね。「ハク」の本来の名は「ニギハヤミコハクヌシ」でしたが、この名前を奪われる(忘れる)ことによって自我の喪失が起こり、湯婆婆にいいように操られていた訳です。

千尋は、ハクのアドバイスもあってか、自分が「千尋」であることを忘れずにいたため、あの異界にありながらそこに染まり切らず、自分の目的を果たすことができたのです。異界の住人の行動とはかけ離れている姿が描かれていましたね。

それほどまでに、名前は自己を定義するのに大きな意味を持つのです。

経営者として優秀な湯婆婆

ゲーム的な話から外れますが、個人的に気になったのが湯婆婆って経営者として優秀な人じゃないか? ってこと。

くされ神が近づいているのを見て、最初は「入れるな」と言っていましたが、それが無理と分かると見るや否や、「さっさとサービスを提供して帰ってもらおう」と判断するのです。この辺りの判断がいいな、と。

無傷でしのぐのが無理なら、なるべくリスクが少ない方法で切り抜ける、という判断が素早く下せるのが見事。

さらに、リスクを低減させる意味で、新人の千尋と一緒に応対してサポートに回ったのもいいですね。熟練の従業員がくされ神のにおいや汚れで倒れてしまうのを防ぎつつ、トップである自分も応対に回ることで顧客への敬意を失わず、かつ新人を現場に立たせることで仕事も覚えてもらう、まさに一石三鳥。

その後現場での作業は千尋に任せつつも、上から様子を確認し、他の社員にサポートを指示している点もすばら。

カオナシは暴走した際に従業員に危害を加えており、それを見た湯婆婆が「いくら客とは言え許せぬ!」と波動拳で応戦したのも、従業員を守る経営者としての姿と言えるでしょう。

お金にがめつい点は、言い換えれば従業員に給料を払うためでもありますから、お金にならない仕事や無駄遣いの部分をきっちり締めるのも経営者らしいな、と。

10年前は「湯婆婆なんでこんな嫌な奴なんだよ……」なんて思ってましたが、働いてから見ると別の感想を持ちますね。こうして受け手の年齢や成長に従って感想が変わるのもいい物語の証拠なんだと思います。

まとめ

ゲーム大好きっ子の視点と言いながら、そのゲームの元になっている神話や英雄譚が話の中心でした。すみませぬ。

大人になってからジブリ映画を見ると、子供の時とは別の感想を持つのでそれも楽しめますね。